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お正月の催しが豪華になっていく

自分が初めてベトナムの年越しを経験したのは2011年から2012年になろうとしているときでした。

 

その時は、日本で働いていて、ベトナムへは観光で来ていました。

 

航空費が安いからという理由で、1月1日に帰国する航空券を予約していました。

 

12月31日、おみやげを買う予定を立て、宿泊していたホテルのスタッフさんが連れていってくれるというので、彼女の仕事が18:00までだというのでそれまで待ち、そのスタッフさんのバイクに乗って出かけました。

 

COOPマーケットで買い物を終え、買い物に付き合ってくれたお礼にそのスタッフさんに夕飯をごちそうして、21:00過ぎにホテルへ戻ろうとしたところ、渋滞にはまりました。

 

カウントダウン花火を見る人たちのバイク渋滞です。

 

未だに破られていない自分が経験した中で最大の渋滞です。

 

子供の時、夏休みに父親が運転する車が高速道路で何時間かの渋滞にはまった経験はありますが、あれはトロトロながらも少しは前進していました。

 

あのカウントダウン花火のとき、最初はそのスタッフさんがすき間をかき分けて進んでくれていたのですが、

22:00頃に「もう無理だ」と完全停止しました。

 

自分も観念しました。

 

道路も歩道もありとあらゆるスペースは人とバイクで埋め尽くされていて、

彼らも同じく進むことをあきらめています。(というか花火待ち?)

 

戻ろうにも内に入ってしまったので後続でふさがれている状態です。

 

ということで、仕方なく花火を見るため2時間待つことになりました。

 

その間、小さい子供がいると、さきほど買い物したお菓子をあげたりして過ごしていました。

 

約2時間後、「そろそろだなー」と思って時計をみると10分前ぐらい。

 

(まだ10分前ですが)歓声があがります。

 

ヒョロヒョロヒョロ~と花火があがりました。

 

ボンッ!と大輪の華を咲かすことのない、

ただのヒョロヒョロです。

 

 

3~4発上がりました。

ずっとヒョロヒョロです。

 

みんな、ヒマだったのか、それでも歓声はあがります。

 

 

自分はまだ時間ははやいし、予行練習をしてるのだろうと勝手に推測していました。

 

 

しかし、ちがいました。

 

カウンダウントもいつの間に終わり、

数分~10数分経ちましたが、

花火はあがりません。

 

 

衝撃でした。

 

 

あのヒョロヒョロ3~4発が皆が結集して、2時間待っていた花火の集大成でした。

 

 

花火に期待していたわけではないので「ベトナムはこんなもんだなぁ…。さぁ、帰ろう、帰ろう」と再び志気を高めたのですが、

これもまた認識があまかったです。

 

 

自然発生した渋滞。

誰かが交通整理をしているわけでもない。

詰めつくされた道。

四方八方に交差している道。

 

皆が同じ方向に進むならよかったのでしょうが、

曲がる者、折り返そうとする者、まっすぐ突き抜けようとする者・・・

 

からまった糸のようにほどけないのです。

 

 

約2時間超、その状態でした。

 

 

結局、ホテルに着いたのは深夜2:30頃。

 

飛行機のことを考えると、5:30ぐらいにはホテルを出発して、空港へ向かわなくてはならない。

 

シャワーを浴びて、荷造りをして、2時間ほど寝て、空港へ向かいました。

(バイクを運転してくれたスタッフさんは、翌朝から勤務なのでホテルの空き室に泊っていました。)

 

良かったこととしては、飛行機の乗車した途端に寝落ちし、起きたら日本に着いていました。

(ベトナム航空は配給時、強制的に起こすのでイラっとしたはずです。そのときは別の航空会社でどこかで乗り換えしたはずなのですが、その記憶がないほどただひたすら眠れていました。)

 

そんな思い出です。

 

翌年(2013年)か翌々年(2014年)。

財政状態が悪いので今年はカウントダウン花火をやらないという報道がなされていました。

 

自分がベトナムに住み始めたのが2015年。

居住するアパートから年越し花火が見えました。

 

茎だけでなく、大輪の華を咲かせていました。

何十発も。

 

立派になったなぁーと思いました。

 

そこからの成長・発展具合はすさまじいです。

 

花火だけでなく、催しがどんどん豪華になっていきます。

 

そんな変遷です。